tobacco road
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【出版年度】
【作家】
はじめにタバコ、それから綿花、両方ともやってきて、また去ってしまった。
しかし、人びとと、大地を信じる心とは、そのまま後まで残っていた。 ーアースキン・コールドウェル
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とくに、怒りの葡萄とタバコ・ロードはどちらも自動車・機械が印象的に描かれる(そして、馬鹿の小作人をだます都会の商人も)
上に引用したコールドウェル自身の言葉と、Gone with the windとの関連. ミッチェルとコールドウェルは同僚だったらしいが。 /icons/questionmark1.icon この作品における、ばあさんの存在の意味
ジーターの母親だが、まったくかえりみられていない。
彼女だけが、枝をあつめては暖炉にくべる、草花を食べたり葉の根をゆでたりしている(他の人は、基本的に本当になにもしない)
だけど結局、最後には車にひかれて死んでしまう
彼女をとおして、なにを描こうとしたんだろう
実際に怠惰であるレスター家の人々。基本的に他人(とくに神)頼み。ただ、彼らだけを責めることができるかという話。彼らから気力を奪うのは、小作人を容赦なく切り捨てた地主と機械か。
しかし本当に何もしない。明日でいいやという先延ばし癖。婆さんのように工夫して食料を調達しようという考えもない。
似たようなセリフが何度も何度も繰り返されたり、かみ合わない会話が続く掛け合いが面白い。どうしようもない感じ。
プア・ホワイトそのものといった人びと。黒人たちよりもひどい暮らしをしていたりして、しかしいまだに見下している 12歳の娘を結婚させてしまったことには驚くが、16歳の息子もかなり年のはなれたひとと結婚させられてしまう。これに対しては町の人びとは困惑、レスター家としてはたいした問題でない
/icons/questionmark1.icon 気づかないうちに焼け死んでしまったエーダとジーターは神に救われたのか
これが神の最後の優しさなのか?
綿花農業の終わりということでもある
長年の習慣であった土地の焼き払いをやめようとしなかったせいで、薪を作って売ることもできず、家は燃えて夫婦は焼け死んでしまった。
変われないものが淘汰されていく
貧乏人ってこうだよなあというところが絶妙に描かれていてよい
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